自分の好みに、そして自分のために室内
を飾るという行為は、究極の自己満足と
も言える。しかしその行為のどこかには
「他人に見られる、見せる」ことを前提
としている部分がある。人に見てもらって
はじめて意味を持ち得るものであると言え
るのではないか。
この一見すると矛盾しているような構造は、
当時僕が音楽について考えていたことと非
常に近かった。
そのころ僕は音楽における無意味な二元
論がなぜか知らないが異常に気になっていた。
調性と無調性、アコースティックとエレクト
リック、芸術音楽と大衆音楽・・・
その中でも、作曲は「自分のため」か「他
人に聴いてもらうため」か、ということに
特に囚われていた。結論は出なかったが、
そういう二元論と全く関係のない自由に少
しでも近づきたいと思った。



この文章は私の友人が書き綴ったものである。
私も若い頃はこの二元論に非常に囚われていたが、
この文章を読んで少し救われた気分になった。